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​ご祭神

大山津見神(おおやまつみのかみ)

 大いなる山の神の意で、我が国の山を支配する神であられます。山は様々な植物を生成し、栄養の高い土を産み、雨水を蓄える水源となる様から、国土安泰・家内安全・商売繁盛の神さまとしてご信仰があります。イザナギ・イザナミの御子で、別名は和多志大神(わたしのおおかみ)とも呼ばれており、海を司る神としても崇め祀られています。

​ また、娘の木之花佐久夜比売命(このはなさくやひめのみこと)が御子を出産された時に、天地の神々にお祝いとして天甜酒(あめのたむざけ)を供えました。これが稲から造った酒の始まりといわれ、「酒造りの祖神」とされております。

石長比売命(いわながひめのみこと)

​ 大山津見神の御子。岩の化身とされ、頑丈な様から延命長寿の神さまです。妹の木之花佐久夜比売命と共に、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)に嫁ぐが、容姿が醜いという理由から姉の石長比売命だけ送り返されてしまいました。それがキッカケで、天孫は岩のような永遠さを手放してしまったことにより、自ら寿命を短くしてしまった。とされている。それが人の短命の起源とも言われています。

木之花佐久夜比売命(このはなさくやひめのみこと)

 大山津見神の御子で、石長比売命の妹。天孫瓊瓊杵尊が一目惚れするほどの容姿端麗で桜の化身とも言われ、富士山の御祭神であることから、日本の美を代表する要素を一身に集めたような絶世の美女神であらせられます。天孫の御子を身籠もったものの、「それは本当に我が御子か」と疑われてしまったため、「天孫の御子で間違いなければ、如何なる状況でも無事に出産することができるでしょう」と、自ら産屋に火を放ち、燃えさかる産屋の中で無事に御子を出産されました。そのことから、安産・子授け、縁結び、鎮火、美の神さまとして広く女性からご信仰があります。

​鎮座地

​ 岡山県倉敷市の中心部、国道2号線「笹沖」交差点

から西約500メートルにある足高山の頂上に鎮座して

おります。

【岡山県倉敷市笹沖字足高山1033】

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足髙神社

 足髙神社古文献によると、『往古、奥津島山(おきつしまやま)山頂に鎮座して、一山四方は海面であり、山下は格別の急流であった。往来の船は必ず帆を下げて航海の安全を祈願し、転覆を免れていたが、これを欠く時、船はたちまち転覆したと言い、この由緒を以て諸国に於いて「備中帆下げの宮」と称すと、古老の口碑に正しく言い伝へたり』とあります。

 そして「言い伝えを無視して帆を下げず航海しようとする船はたちまち転覆したと言われ、その御神威の荒さにおじ恐れて、ひととき山裏に社殿を遷しお祀りしていた時期がある。この頃は「北向き帆下げの宮」と呼ばれていたが、後に海面一変して新拓となり元禄八年七月、元の山頂に遷し祀る。今の社地、是なり。

由緒

創始

 第十代崇神天皇七年十一月(今からおよそ2,100年前)

天社国社及び神地神戸を定められ、これが後の延喜式内社

の主な神社となったものです。

 古代の祭祀場は現在のような建築物(本殿や拝殿など)

ではなく、自然の石や岩を高い山の上に組み上げたり巨木

に神様に降臨いただき拝んでいたもので「磐座(いわくら)」や「磐境(いわさか)」と呼ばれていました。

 仏教伝来の西暦538年以降、全国で神社建築が起こり足髙神社も現在のような建築物が建てられましたが、古代の祭祀場の形跡を残すために形態は縮小されておりますが、御本殿の後ろにその名残を見ることができます。

磐座

​延喜式内社

 延長五年(927年)、醍醐天皇の御代に制定された我が国最古の国家行政の基本的施行細則である、『延喜式』の「神名帳」の中に【備中国十八座 窪屋郡三座 足高神社】と記載されています。

​ 日本において官(朝廷や国)から幣帛もしくは幣帛料を支弁される神社のことで、官として特に重要と認められた神社のことを延喜式内社と言います。

​〒710-0834

​岡山県倉敷市笹沖1033

TEL:086-425-7292

FAX:086-427-0831

Mail:ashitakajinja@outlook.jp

社紋

延喜式内社

足髙神社

​帆下げの宮

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